2011年3月20日日曜日

イチローに感謝

3月11日に日本で大地震が起こった。日本に1日でも早く平穏な日がくることを毎日祈っている。

先日、赤十字に募金をした。もっとお金がたくさんあれば、もっとたくさん募金ができたのにと思う。それが悔しくてならない。私の知り合いでロットでお金をたくさん当てた人を知っている。彼女は私の友達ではなく、正しくは、私の友達の奥さんだ。私が彼女だったら、そのお金を募金にも使うのに。。でも、彼女はそのお金を募金に使うことはしないと思う。1セントだって使わないだろう。それに、彼女は日本人じゃないし、日本と関わりがないと思うし、今回の地震のことだって大して関心を持っていないと思うから。きっと、てめえらの為だけにそのお金を使うんだと思う。ロットでお金を当てた時、彼らはタンペレで一番高いホテルのスイートに泊まったと聞いたし。そんな贅沢したくなるのはわかるけど、なんかムカツク。人様のことを悪く言うのは良くないことだし、自分がたくさん募金できなかったから八つ当たりしてるだけなんだろうけど、こういう人もいるんだって思うと悔しくて腹立たしくてならない。

そんなことを考えていた時、イチローが1億円を募金したニュースを知った。1億円は本当に大きなお金。彼が汗水流して働いたお金だ。友達の奥さんが当てたお金よりも大きい金額。そのお金をイチローは、今回の地震への募金に使った。そのニュースを聞いて、私は嬉しくなった。同じ日本人として彼を誇りに思った。

ありがとう、イチロー!

2011年2月27日日曜日

卒論

一番最後に書いたブログが去年の8月。あれから半年がたつ。
このブログはもはや、いつ更新されるかわからないブログと化しつつある。。。

2月になってフィンランドは少しずつ昼間の時間が長くなってきた。今日は曇りだったけど、今週半ば位まで天気のいい日が続いた。マイナス25℃だったけど。

卒論は昨年の11月に書き終えたけど、教授からOKサインがもらえず書き直し。。。この間、卒論担当の教授が病気でいなかったため、他の先生経由で書き終えた卒論を渡してもらうことになった。今度こそ、OKサインがもらえるといいけれど。。

日本で大学生だった時、卒論は必修ではなかったので書かなかった。当時の私には重荷だったし、面倒くさいと思っていたので書かなかった。なので、今回が生まれて初めて書いた卒論になる。本当にしんどかったけど、自分の書きたいこと(自分が勉強してきたことで)が書けると実感した。
日本で大学4年になる前、学校を1年休学してアメリカに行った。日本の大学で英語・英米文化を勉強していたのに、アメリカで色々な経験、アメリカと日本の違いを肌で感じたことがたくさんあったのに、それを卒論を書かなかったことが今では悔やまれてならない。もし卒論を書いていたら、後輩達がそれを参考にして、少しは後輩たちの役に立ったかもしれない。卒論は自分が勉強してきたことの証になるのに逃げてしまった、或いは興味がなかった理由で書かなかったのが悲しい。
今の私なら、卒論を書くのに。

2010年8月5日木曜日

頭をぶつけた

最近、私生活(友達関係)で悲しくて辛いことがあり、心にぽっかり穴が開いたようだった。もう生きていたくないと時々考えたこともある。だからドリカムの「朝がまたくる」を先週は、何度も聴いていた。「♪元気をだして。明日がまたくるよ。blabla♪」なんていかにも前向きな歌よりも、その時の私は、ドリカムのその歌の方が合っていたし、聴いていたかったから。この歌をあと百万回くらい聴かないと、ダメだろうと思っていたけれど、少しずつ「♪いつまでもメソメソしていちゃダメだ」的な歌も聴けるようになった。それでも昨日また、生きていたくないと考えてしまった。

昨日の昼間、ベッドで昼寝をしていた時、携帯が鳴ったと思ったので、ベッドの近くにあるカバンから携帯を取ろうとした時だった。ベッドからそのまま滑り落ち、クローゼットの引き出しの取っ手に頭をぶつけてしまった。しばらく痛みが治まらず、大げさだけど「脳内出血でそのうち死んでしまったらどうしよう」と考えた時、私は気がついた。私は、本当は死にたいなんて思っていないんだって。
今日も頭をぶつけた所を押すと痛いけれど、この出来事は、私に生きていたいということを教えてくれたんだと思う。

2010年7月25日日曜日

ミドルカップルの結婚式


先週、フィンランドのNurmesという町に行って、主人の叔母の結婚式に出席した。
今まで出席した結婚式は、20代、30代のカップルが多かったけど、今回は、50代前後のカップルだった。日本では、このくらいの年代の結婚式は、あまり見かけたことがないからどんな感じなんだろうと思っていたけれど、新婦、新郎とも衣装が似合っていて、若々しく幸せなカップルだった。出席者も、小さい子供からおじいちゃん、おばあちゃん世代、ブライドメイドも妊婦さんや新婦と同じくらいの年齢の人達と様々だった。フィンランドで結婚式に出席して思うのは、皆が結婚式(結婚パーティ)を楽しんでいることだった。新郎、新婦ともリラックスしている雰囲気だった。そして、結婚パーティは夜中まで続いた。。夜食、サウナ、カラオケと、元気なフィンランド人達。夜中まで起きているおばあちゃんもいた。フィンランドのおばあちゃんは、パワフルだ。サルミアッキを食べているからなのか?

2010年6月26日土曜日

日本式の結婚式


今回の一時帰国は、最初は免許の更新が目的だったけど、結婚式もすることになった。主人が、私の着物姿を見たことがないから見てみたいことと、日本式の結婚式に興味があったから。
昔は、結婚式にはウエディングドレスが絶対いいと思っていたけれど、日本を離れていると、日本のものが良くみえてしまったのか、着物も悪くないと思うようになった。フィンランドで時々結婚式に出席することがあるけれど、その時に花嫁のドレス姿を見ていたら、(ドレスで)お腹いっぱいになってしまったことも原因なんだけれど。。
挙式の数日前に衣装合わせをしたけれど、伝統的な髪型は、私に似合わなかったので、洋髪にすることにした。なんせかつらをつけた瞬間、笑いをこらえるのに大変だったから。。以前父には、伝統的な衣装と髪型がいいのでは?と言われたけれど、自分の道を選んだ。
挙式当日は、家族と親戚数人が出席し、挙式の後は、なだ万で食事会をした。後ほど、兄から、私の着物と洋髪が評判よかったと聞いて、嬉しかった。神社での挙式で、綿帽子じゃなくて、洋髪で大丈夫かしら?と若干心配だったから。我道に進んでよかった。
日本を離れていると、和の物が魅力的に見えてしまい、自分へのお土産に和風の髪飾りや小物、さくら塩やさくらキャンドルを買った。VIVA和風!

日本へ一時帰国

先月、日本に一時帰国した。フィンランドに来てからずっと日本に帰っていなかったので、約3年ぶりの帰郷となった。久しぶりの帰国で驚いたことは、やっぱり日本は便利なこと。24時間営業の店がある、日曜、祝祭日でもたくさんのお店がかなり遅くまで開いている。便座がどこも暖かいこと。逆に不便だったのは、トイレにペーパータオルが設置されていないこととゴミ箱が見当たらないこと。ゴミ箱のことについては最初は、不況だから人件費(ゴミ箱を掃除する人)の削減化と思っていたら、そうではなく、友達に聞いたら地下鉄サリンの影響とのことだった。
一時帰国するまでは、あれもしたい、これもしたいと思っていたけれど、帰国中はかなり忙しくて、やりたいと思っていたことの半分以上ができなかった気がする。それでも会いたいと思っていた友達に会えたことは、幸せだった。8年位会っていない友達に会った時、会うまでは、「会話が続かなかったらどうしよう。よそよそしかったらどうしよう」なんて心配をしてたけれど、その友達に会ったらそんな心配いらなかった。1週間前に会ったんちゃうかって思うくらい楽しかったから。何年も会っていない友達でも会った瞬間、昔に戻れる、それを実感した。友達という存在は、本当にすごい。

2009年11月5日木曜日

Abingdon boys school来フィン


昨日、Abingdon Boys Schoolのライブを見にヘルシンキに行った。このライブのことを知ったのは、1週間位前のことだった。彼らの初のヨーロッパツアーが、フィンランド、ヘルシンキであるなんてものだから、行かなくてはと、即決だった。彼らのヨーロッパツアーは、ロシアから始まりフィンランドは2カ国目だった。フィンランドでの彼らの知名度は、どうなんだろうと思っていたけれど、かなりの人気だった。会場には、オープンの2時間前に行ったのだが、もう50人近くの人が並んでいた。
ほとんどがフィンランド人、又は他国のヨーロッパ人だった。観客は100-150人位だったと思うけど、その中で日本人は10人くらいしかいなかったと思う。中には、日本からはるばるフィンランドまでコンサートを見に来た日本人のお客さんもいた。ABSのコンサートは、また行きたいと思うくらい楽しかった。ヴォーカルの西川くんのサービス精神の旺盛さやエンターテイメント性は、異国でも好評だった。西川くんがちょっとしたフィンランド語を話すと、フィンランド人達は大興奮していた。日本にいるときよりも彼が身近に感じた。
コンサート終了後、1時間半位してから会場の外の様子を見に行ったら、15人位の観客が彼らを待っていた。そして、しばらくしたら彼らを出迎えるような形で観客達が並び始めたから、「これは。。。」と思い、私もその並びに行った。入り口から最初はスタッフさん達が、荷物を車に運んだりして、主役達が出てきたのは、最後の方だった。特に、西川くんは鳳だった。ほとんどの観客が西川くんファンで、サインを頼んでいた。私はサインをもらうよりも、一緒に写真を撮りたいと思っていたから、その願いがフィンランドで実現できて嬉しかった。実物の彼は、テレビのままだったけど、仕事が終わった後の彼は、テンションが低かったような。。彼はファンへの要求には、応じていたけれど、対応が素っ気ないというか、テンションが低いというか、ファンに対して距離をとっていたように感じた。なんとなく、芸能人の仕事顔とプライベートの顔を見てしまった気がした。本当のところは、わからないけれどね。少なくとも、彼がファンや一般人を睨みつけたり、舌打ちしたりするような芸能人ではなかったからよかった。
いずれにしても、彼らのライブを楽しみ、夢も実現したから、フィンランドに住んでいてよかった。これで、思い残すことは何もない。